「わたしを離さないで」 ブックレビュー

★ご注意!★今回の記事は、多大なネタバレを含みます★

「わたしを離さないで」がドラマでやってたんですね。全然知らなかった。

時期的に、もうドラマは終わっちゃってるのかな?
ドラマでは、どんな結末だったのだろう。

ドラマには乗り遅れましたが、せっかくなので
私も所感を書いてみようと思います。
ずいぶん前に読んだので、おおざっぱなのはご愛嬌ということで。

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カズオ・イシグロについて

その前に、すこしだけカズオ・イシグロについて。
100%(たぶん)日本人で名前も日本名で日本顔ですが、イギリス人です。
正しくは、日系イギリス人です。

お父様が海洋学者さんで、小学校上がる前くらいにお父さんのお仕事の都合で
イギリスにうつり、そのまま青春時代をイギリスで過ごして、
イギリス人になりました。
物心ついたときからイギリスに住んでるんだから、そらそうなるわな。
奥様もイギリスの方です。
ああ、イギリスがゲシュタルト崩壊しそう。

もともと私がイシグロさんの本を手に取ったのも、
どこだかの空港の出発ゲート付近で何か本を買おうと思って
「お、日本人の本やんけ!」と目に留まったからでした。

はへ~英語のうまい日本人じゃのう・・・と思った若りし頃の恥を
そっと告白いたします。

わたしを離さないで (Never Let Me Go)

この作品、読み始めは青春回顧録なのかな?という話が進んでいきます。
主人公のキャシー(女)、同じ寮生のトミー(男)、ルース(女)の
幼馴染3人の奇妙な三角関係が物語の軸になります。

この3人の恋愛やら友情やら信愛やら同志愛やら絡まった
アフェアは、ドラマとしては重要な部分なのですが、それについては
ここでは割愛します。

医療・介護系の職に就いた大人になった主人公が、
「へールシャム」という寮で生活した日々を思い出す・・・
そんなほろ苦青春群像劇かと思いきや。
特筆すべきは、その舞台設定です。

読み進めるにつれて、だんだん気味の悪い雰囲気になっていきます。
というのも、

・同級生は軒並み入院or死んでいる
・主人公はじめ登場人物たちは、それを平然と話している
・ヘールシャムは基本的に外界とは完全に隔絶されている
・ヘールシャムの子どもたちに親類らしき人間は皆無
・子供のころから芸術系の教育だけがやたら重視されていた
・たまにくる謎のマダム。ヘールシャムの子どもたちの作品の中から
優れたものを持って帰っていく
・ヘールシャムでは青春時代らしくカップルがセックスすることもあるが
子供ができる可能性はゼロなので特に非難されない
・そのかわり、喫煙など健康に悪いことは絶対禁止
・ヘールシャムの先生たちは何かを隠している
・将来の夢を語った子供に、先生はあいまいな反応しかしない
・学年が進むにつれて、「提供」が何かを子供たちは知っていく。
それを不自然なこととは思わなくなっていく

この「だんだんなんか不穏な空気に・・・・」というひしひしとしたいやな予感。
イシグロ作品を読んでいると毎回感じることになるアレです。

それが高まってきた頃、ルーシー先生という先生が子どもたちに気持ちをぶちまけます。
いわく、

・あなたたちに将来はない
・中年になる前に提供が始まり、死んでいく
・それでも尊厳を失わないでほしい

こんなようなことを子どもたちに伝え、ルーシー先生はほどなく学校を去ります。

このシーンのぞくっとするところは、
子どもたちが「ガーン!私達ってそれじゃなんなのさ!?」となるわけではなく
あくまでフラットに「ふむ・・」と受け止めるところです。
もちろん、その言葉によって考え込んだりするんですが、
別に悲劇的な気持ちにはならない。
そこには死への恐怖みたいなものはありません。

・不穏な「提供」「使命」の言葉
・ヘールシャム以外にもこういう子供を集めた施設はあるらしい
・ヘールシャムは恵まれた環境らしい
・ヘールシャムを卒業した後も、子供たちは別の場所で集団生活を送る
・その中で優れた者は(だったかな?)「介護人」となれる
・介護人になれれば、介護人の仕事をしている間は延命する
・とはいえ、いつかは「提供」の立場になる
・子供たちは外界にでると「ポシブル」と呼ばれる自分たちの「親」が
いないかを探すことが習慣になっている
・ただ、中には自分たちの「親」がまともな人間のはずがないと
思っている者もいる

もうお分かりですね。
そう、ヘールシャムは言ってみれば人間牧場。
臓器提供のためのクローンを育てる場所だったのです。

作中では、ヘールシャム以外にもそういった施設はあるが、
ヘールシャムが一番人間的な扱いをされている、提供者にとっては
いわば憧れの場所であると語られています。

しなしながら、ヘールシャムは主人公たちが大人になった頃には閉鎖されて
しまっています。
大まかにしか覚えてないのですが、理由はこんな感じです。

・しょせん臓器提供用、として人間以下の扱いを受けていたクローンたちも
人間的な教育を施せば、理知的で芸術性に富んだ「人間」たりえることを
証明するために、ヘールシャムはあった。
・マダムはその人権(クローン権?)運動家
・目論見はある程度あたり、クローンたちの待遇は改善された
・しかしながら、ある科学者がクローン技術を利用して、人間より優れた人間を
創りだそうとした
・それが「クローンに人間が支配される!」と世間の反感を買い、
クローンへの風当たりはまた強くなり、支援する人がいなくなってしまった
・その結果、ヘールシャムは閉鎖されてしまった

なんだかガンダムSEEDみたいな話ですね。
そんな「提供」を運命づけられているヘールシャムの子どもたちに、
学園の七不思議のごとく伝えられているある伝説がありました。

それは、
「本当に愛し合っている男女であることを証明できれば、数年「提供」待ってもらえる」
というもの。

物語の終盤、キャシーとトミー(ルースはたしかこの時点で
「使命」を果たして亡くなっている)は、その伝説にすがって
マダムとルーシー先生のところへ行くのですが、
結局、そんな伝説は存在しませんでした。

けれど、ルーシー先生は二人が「もっと生きたい」「愛し合う」という感情を
持てたことに意味がある、と涙を流します。

その後、トミーは見苦しい姿を見せたくない、とキャシーを介護人から外します。
(トミーはすでに3度の提供を終えている(少なくとも3つ以上の臓器がない)ので、
体調がかなり悪い)
そして、4度目の提供をして亡くなります。

最期に残されたキャシーは、介護人として仕事を続けます。
きっと彼女も、数年後には介護人としての役目を終え、提供者となり、使命を終えるのでしょう。

サイエンス・フィクションのようでありながら。
社会に対する疑問を投げかけるような体でありながら。
その実、親の愛も兄弟の愛も故郷も知らないクローンだからこそ見つけられる純愛。
何も持たない者が、何かできるのではないかと一歩踏み出す意味。
そんなことを考えさせられる一冊です。

ハッピーエンドとは言い難い作品ですが、こころに残ることは間違いないと思います。

 

映画版では、タイトルになっている「Never Let Me Go」の歌が
たしかOPで流れるのですが、ヘールシャム、子供たちの意味が分かってから
聞くと、ちょっとぞくっとします。

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